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天野 眞也(あまの しんや)さん
1969年生まれ。工業用機器メーカーの株式会社キーエンスに、92年に新卒入社し2010年までの約18年間勤務しました。在職中、社長直轄の営業チームの初代リーダーに抜擢され、1兆円以上のグローバル企業を次々と開拓するなど、会社の発展に寄与しました。現在は製造業向けのインターネットサービスを運営する株式会社アペルザの営業顧問として「日本のモノづくりを元気にする」仕事をしています。

キーエンスの本当の強さ

「営業1人1人の営業力が高くて給料が高い会社という印象があると思いますが」
天野さんは本質は違うという。
「本質は仕組みの良さにあって、マーケティングから営業までの一連のつながりがきちんと仕組みになっている。ここがすごいところです」
その上に個々の営業職の高い営業力が加わる。だから強い。

Amazon Primeが無い時代から即納をやっていた。
Sales Forceが無い時代から顧客管理のためのカルテのようなカードがあった。
このカードは会社単位ではなく個人単位のものだ。
「今では当たり前のこれらの手法が、20年、25年前に既にある程度確立されていた。これがキーエンスの根本的な強さです。みなさんが知らないところだと思いますが」

天野眞也さん

プロセスを可視化することで組織が活性化する

キーエンスには公開順位づけの文化がある。
「順位付けは学生の頃はされているようでされていないので、新人で入った時の”同期190人中で何番”は本当に刺激になりました。この仕組みもキーエンスの巧さですね」

この順位づけには面白いロジックがある。
「年次が若いうちは、プロセスといって、新規のお客様をどれだけ開拓したか、どれだけ訪問したか、そういったKPIが重視されます。売上自体は若手のうちは評価の割合が低いんです」

新卒でも売上を出す大事さはもちろん感じていた。
それ以上にプロセスを積み上げることの大事さを感じた。
「デジタルな営業管理ツールがない時代から、アナログにプロセスがスコア化されてランキングに反映されました。月単位で売上が達成できなくても自分で努力してプロセスでカバーしておくと後になって効いてくるんです」
それが面白く、遣り甲斐になった。

「“やることをやった結果売れるのが一番正しいんだ”というこの頃の経験が、今でもDNAに刻み込まれています」
物凄く清く正しいことをやっている。
「ロジック破綻が一切ない会社ですね」

ちなみに天野さんは新卒者ランキングで190人中1位を取っている。

キーエンス入社のきっかけ

「就活はバブルのころで、上場企業からも内定をたくさんもらえていました。メーカーに行きたいと思っていました」

お金をもらって、その分の価値の製品を納品する。
お客様の使い勝手によっては何倍にも効果が出る。
フェアな良い仕事。
天野さんはメーカーの仕事を当時こんなふうに考えていた。

「車やバイクが凄く好きで、車メーカーなどもいくつも受けました。その中の1社にセンサーメーカーのキーエンスが含まれていました。つまり偶然の出会いだったんです」

それでも、数ある内定のなかからキーエンスを選んでいる。
「入社を決めた最大のきっかけは父親の言葉でした」
天野さんのお父さんはテレビ局に勤めていた。
「うちの父親の若い頃は、繊維、鉄鋼、造船などの大企業に行く時代でした。”自分は名もないラジオ局に入ったけど、ラジオ局がテレビ局になった。会社の成長と自分の成長を重ね合わせられる方が絶対に面白い。だから将来性で会社を選べ。今のサイズにこだわるな”と言われたんです」

天野眞也さん

「それなら」とキーエンスで聞いた話を思い出す。
この先はセンサーの時代になる。
自動化の時代になる。
ライバルはいない。

「これは面白い会社に出会えたと思ってキーエンスに決めました」
ちなみに3つ目の”ライバルはいない”は後に嘘だと分かる。
「いないどころか、オムロンや三菱電機など名だたる競合がいました」
天野さんはそういって笑った。

がんばることがカッコいい

その当時キーエンスという会社を誰も知らなかった。
300名弱の小さい会社だったからだ。
天野さんの入社の前々年に社名変更したばかりということもあった。
「上場はしていたものの、自分の感覚からすると非常に小さい会社に入ったという感じでした」

天野さんが入る年から本格的な新卒採用が始まった。
300名弱の会社に同期が190人いた。
研修制度もまだ手探りながら、6か月間缶詰になった。

「それまでは、楽して得したい、働くことはカッコ悪い、一生懸命やるのはバカらしい、学校にはほとんど行かない、遊んでばっかりという典型的なバブル大学生でしたが」
この研修期間に世界が一変する。
「がんばることのカッコよさというか、”結果、できるやつが一番カッコいいじゃん”と思いました。バブルの最中に300人以下の会社に入ってくるのは、一発当ててやろう、ここで飛躍してやろうという人が多い。大企業の看板で勝負だっていう人間とは違う気概を持っていました。刺激を受けましたね」

天野眞也さん

滑り出しは上々で

新卒の成績ランキングで通期1位になった。
「自分でも信じられませんでしたが、”頑張れば結果出るじゃん。俺かっこいい”と思いました」
2年目には、先輩社員も含めた全社のランキングで1位になった。
「このことでちょっと注目されたのは良い滑り出しでした。学生時代はバイトもしたことがなかったので、自信にもなりました。こうなると頑張り続けるしかなくて、トップギアに入ったままアクセル踏むしかなくなりました」

眠っていたものが呼び覚まされた感じだろうか。
「そうだと思います。負けたくないと明確に思いましたし」

50歳目前の今、これからを語る

「そんなふうに営業人生が始まりました。楽しかったですし、今も楽しい。この楽しい人生を与えてもらえたことに感謝してます」
今は工業製品の業界を押し上げていくことがライフワークだと言い切る。

「”日本品質を世界へ”というキーワードが自分にはあります。”日本製品を世界へ”ではなく、日本製品はもとより日本の技術、とくに生産技術・製造技術を世界に出していきたい。そこで戦って初めて、日本がまたモノづくり大国として脚光を浴びる日が来ると確信しています」

天野眞也さん

誰よりも日本のモノづくりのことを考えている。

「そうですね。勝手に背負ってます。誰にも頼まれてないけど」
笑ってそう言い切れるのも、キーエンスでの経験があるからだ。
「もちろんそうですね。でももっというと僕は車とバイクが大好きなので、製造業に絡んでずっと仕事ができたら本当に幸せっていうところです」

好きなことをこんなふうに追いかけ続ける背中は見習ってみたくなる。

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